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Monday, October 26, 2020

インドに単なるカレーは存在しない 書籍『食べ歩くインド』で知る現地のカオスな魅力 - メシ通

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インド食べ歩きのスゴイ本が出た!

2020年8月、カレー及びインド料理に興味を持つすべての人にとって、最注目すべきすごい本が出た。

『食べ歩くインド 北・東編』『食べ歩くインド 南・西編』(ともに旅行人、2,200円+税)の2冊である。

ryokojin.co.jp

両巻とも300ページオーバーの大作。ほぼインド全土をカバーする食べ歩き情報が詳細な地名と店名入りで綴られ、臨場感を盛り上げるカラー写真も大量に掲載している。

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▲どこを開いても見たことのない料理だらけ(『北・東編』より)

『南・西編』のカバーに巻かれたオビのキャッチコピー、「インドに単なるカレーは存在しない!」のとおり、広大な国土と、文化、宗教、言語の多様性に起因する、インド各地の食文化のバリエーションの豊さも深く実感でき、インド好きにはたまらない内容となっている。

著者は小林真樹さん(写真下)。彼のSNSを情報源として国内外のカレーの食べ歩きを楽しむファンも多く、2019年には初の著書『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院、2,200円+税)が話題になった。

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▲インド食器輸入販売店「アジアハンター」を営むかたわら、現地と日本国内でインド亜大陸食文化をディープに探求する活動で知られる小林さん。現代日本カレーシーンのキーマンのひとりである

twitter.com

ご本人のプロフィールについては、以前『メシ通』に掲載したインタビュー(下記リンク)でも触れているので、ぜひこちらもあわせて読んでみてほしい。

www.hotpepper.jp

今回は小林さんに、同書執筆のきっかけから、行間にあふれるインド食文化への思い入れまで、たっぷり聞いてみようと思う。

美味しさの追求は最優先事項ではない

さて、旅好きな読者の中には、この本の出版社名が気になる人もいるかもしれない。「バックパッカーの教祖」として知られる蔵前仁一さんの運営する旅行人だ。

小林さん(以降、敬称略)蔵前さんとは、とある本のイベントへ出店したときに知り合ったんです。ぼくはアジアハンターでも扱っている洋書のインド料理本を販売していたのですが、蔵前さんも自前のインド本を出品してらっしゃって、そこで声をかけてもらいました。

この出会いが、2017年9月に出版された雑誌『旅行人』<特集:インド、さらにその奥へ、1号だけ復刊号>への執筆参加につながり、それとほぼ同時に今回の書籍企画も持ち上がったのだという。

小林:最初は、詳しめの情報が掲載されたインドのレストランガイド、というような企画でスタートしました。もちろん1冊で完結する予定だったんですが、こつこつ書きためていたら当初の予定より文章が大幅に増えてしまいまして……。蔵前さんには「不要な部分は削って使ってください」と言ってお渡ししたんですが、それはもったいない、ということで2巻構成になったんです。

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▲ページをめくるたびに仮想旅行の興奮が何度も押し寄せてくる(『北・東編』より)

膨大な取材量と食文化の知識で知られる小林さんの本が、2巻構成のボリュームであることには何の違和感もないが、最初から予定されていたことではなかったわけだ。

関係者から聞くところによると、それまであまり食関連の話題を扱ってこなかった雑誌『旅行人』において、かなりのボリュームを割いた食文化の記事が掲載され、さらに書籍まで出版されたのは異例のことらしい。そもそも蔵前さんご自身が、語れるほど食への興味がなかったという話も聞くが、そのあたりはどうなのだろう。

小林:デザインやイラストも手がけられる蔵前さんは、インド各地の民族的な美術について現地で調査したり、写真におさめたり、実際に絵を入手したり、ということをされています。だから、食文化についてリサーチし、現地で実際に食べてみるという、ぼくの旅のスタイルともリンクする部分があって、そこに注目していただけたのかもしれません。ぼく自身、必ずしも美味しいものが食べたいというわけではないんです。グルメが第一目的の旅ではないですから。

確かに、『南・西編』の巻末におさめられた「あとがき」(p.302)には、こう書かれている。

誤解を恐れずにいえば、インド食べ歩きは美味しさの追求が最優先事項ではありません。

単なる美食のためではなく、インドをより深く知るために、感じるために食べる、ということだろうか。

小林:たとえば、ある食堂の料理をホテルに配達してもらって食べて、その味だけがわかればよい、というわけでは全然なく、その料理を食べる食堂なり、レストランなりの環境の中に身を置くことが一番の目的です。インド人がわんさかといる、その中に身ひとつで分け入っていくことこそが面白い。食べるという行為を通じて、その世界に自分の身をさらしたい、というか、五感で受容できる情報すべてを浴びたいんですよ。

自分ひとりだからこそできる自由な旅

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▲小林さんはインドのすべてを浴びるために、基本、旅行中はひとりで行動することにしているという

小林:たとえば、仲間や家族と一緒に旅行したりすると、なにがしか行動の制約を受けますし、それだけでなく、環境に対してダイレクトでなくなってしまうというか、じかに触れることができなくなってしまうんです。

確かに、旅行中に複数で行動するのは、自分の属す社会を引きずって歩いているようなものかもしれない。それがバリアになって、せっかく全身で浴びているインドが薄まってしまう、ということか。

小林:旅行者ではなく、たとえばインドに長期在住している駐在員の人なども、なんらかの社会的立場に拘束されていますので、都会のデリーから出てローカルな市場で少数民族の酒を飲んでみる、なんていうことはやりにくいと思うんです。現地に住めば、より現地のことがわかるようにも思えますが、やっぱり「自由」ということにおいては、単独の旅行者という存在に勝るものはないと感じています。

ちなみに、『北・東編』の冒頭にある「はじめに」(p.14)には、こんなくだりがある。

一見自由で無秩序のように見えるインド人ですが、例えばイスラーム教徒は北東インドの美味しい豚肉料理を食べられず、ジャイナ教徒は油の浮いたハラールのマトン料理に舌鼓を打てません。一方私たち日本人は、こうした社会的呪縛や宗教的しがらみから自由でニュートラルな立場にいます。

現地に生まれ、暮らすインド人たちは、もはやインド社会の一部であり、そこから脱することはできないがゆえに、食に関して、さらに強い制約にしばられているのだ。

旅と自由、ということを改めて考えさせてくれる話である。

インドの「激シブ店」とは

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▲倉庫と見まがう外観。無造作な鉄の扉が激シブ(写真提供/小林真樹)

ところで、小林さんが飲食店を形容するときにたまに使う「激シブ」という言葉が気になっている。本の中にも出てくるし、SNSにも散見される。年季の入った味のある店、くらいの意味だとは思うが、どんなニュアンスなのか、あらためて聞いてみよう。

小林:何気ないけれど、地元の人たちが長く通っていて、古いものを大切にしている老舗の繁盛店、という感じでしょうか。真新しくてピカピカしている、きらびやかなお店よりも、そういうお店のほうが個人的に好き、というだけなんですけどね。

当のインド人の大多数は、ピカピカの新しいお店に高評価を与えがちなんだそうで、「激シブ」店のよさは、外国人目線だからこそ味わえるのかもしれない。

では、この本に掲載されたなかで、とくに激シブと言えるのはどの飲食店だろうか。

小林:この本には基本的にそういうお店を多く掲載していますが、たとえば、こことか。この厨房、実に味がありますよね。

『南・西編』をパラパラめくりながら小林さんが指さした写真は、チェンナイでノンベジ・ミールスを提供する「トロウザー・カーダイ」(p.39)。

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▲トロウザー・カーダイの厨房(写真提供/小林真樹)

見れば、薪が燃える土製のかまどは年季が入りまくった見た目で全体が煤で黒ずんでおり、それをあやつる料理人は、上半身裸で腹の出た白髪の男性──。

うーん、まさに激シブ。

シブさの基準のひとつとして「調理の熱源として薪を使っているか否か」があるそうだ。

小林:ヒンドゥー教では、人工的な燃料よりも、できるだけナチュラルな燃料のほうが尊いとされるので、かまどで薪、あるいは牛糞の燃料を使っていたりすると、シブさのレベルが高い、なんて判断ができるかもしれません。

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▲上半身裸の調理人がいるのも激シブ店ならでは(写真提供/小林真樹)

激シブ店は看板&メニューも完全現地仕様

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▲掘っ立て小屋のようでありながら、よく見ると細部の工事は丁寧な激シブ店(写真提供/小林真樹)

激シブ店がある一方で、たとえば高級ホテル内にあるチェティナードゥ料理※ の某名店などは、その種の料理ジャンルを代表する存在であり、ガイドブックで紹介してしかるべきお店として掲載されているが、実のところ、小林さんの個人的な好みからは少し外れるのだとか。

※チェティナードゥ地方の料理。南インドに広く普及しているスタイル

小林:あまりにもぼくの趣味に偏ってしまうと、本としてバランスが悪くなってしまうので、そういうお店も載せています。というか、それでもかなりバランス悪いんですけどね。たとえば、現代インドの食文化の一端を感じられるインド系ファストフードや、より洗練された形のモダンインディアのお店などは載せていませんから。

「バランスが悪い」とご本人は言うが、小林さんが大好きな激シブ店、本の文脈上紹介すべきとの判断で載せたお店、あえて載せなかったジャンルのお店、という分類があったうえで掲載店が吟味されているのを意識しながらあたらめて本書を眺めてみるべきだろう。そこには、小林さんの審美眼を再認識できると同時に、偏った感じなどは微塵もしないところに、圧倒的に幅広い情報量の凄みを感じるからだ。

特に激シブ店の多い都市が、コルカタ(旧カルカッタ)。「街なかの激シブ食堂」として紹介されている「スワディン・バーラト・ヒンドゥ―・ホテル」(p.174)をはじめ、これぞというお店がいくつか紹介されている。

小林:「スワディン〜」は、スバス・チャンドラ・ボース(インド独立運動の志士、1897年〜1945年)が通ったという伝説で有名なお店。そもそもインドの外食産業はイギリス統治の影響で発展した面があるので、イギリスのお膝元だったコルカタにはとくに歴史の長い飲食店が多いんです。創業100年以上の飲食店もざら。つまり、激シブ店に事欠かないわけです。

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▲アルファベット表記の全くない看板はワクワクする(写真提供/小林真樹)

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▲激シブ店のメニューはアルファベット表記なしが基本(写真提供/小林真樹)

お客さんファーストより「お店ファースト」が理想

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▲日本でもよく見かける「コの字型カウンター」にも近いがよく見るとちょっと違う……(写真提供/小林真樹)

インドにおける小林さんの飲食店探求について、コラム「インド名店の探し方」(『南・西編』p.294)には、その技術の一部が明かされており大変興味深い。

名店に出会う秘訣として、いくつかのトピックが紹介されているが、ちょっと笑ってしまったのは、チェックすべきポイントとして挙げられている店内構造についてだ。

まず意識すべきなのはその店のつくりがお客ファーストかお店ファーストかという点。良店なのはもちろん、後者である。

大方の日本人の常識を覆し「もちろん、後者」と断言するには理由がある。例えば下の写真を見てほしい。

料理のサーブしやすさを第一に考え、お客さんが横一列に並ぶという、どこまでも店側本位のつくりになっている。「お客様は神様」的な精神が底に流れていそうな、現代日本の常識とは真逆かもしれない。

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▲サーブする側の動線を重視した、まさにお店ファースト、店員ファーストな店内構造。お客さんは「なすがまま」である(写真提供/小林真樹)

小林:特に南インドに多いですが、料理を一品一品サーブするお店の場合、家族客やグループ客が座りたがるような4人がけのテーブルなんかは、料理が非常に出しづらいわけです(インドでは店員がどんどんおかわりを継ぎ足していくスタイルが多い)。で、店員の動線を第一に考えると、こんな写真みたいになるんですよね。日本と比べて、元来インドではお客さんの便宜を第一に考えるという感覚が薄い。だから、店員の働きやすさを最優先しているお店のほうが、むしろ潔く感じるし、味についても信頼できる、とぼくは思います。

インドの名店に出会うには、まずは日本の常識を留保してかかるべし、といったところか。

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▲ちょっと不思議な配置だけどやっぱりお店ファーストだ(写真提供/小林真樹)

北=野菜中心、南=肉メインは思い込み!?

さて、インド料理そのものに関する「日本の常識」についていえば、古くは「インド人はカレーをナンで食べる」というものがあった。だが、これはかなり限定された情報であることが近年露わになった。「来日して初めてナンを食べた」というインド人もいるほどだ。

最近だとこんな常識も。

南インド料理はヘルシーな菜食中心、北インド料理は肉たっぷり──。

がしかし、本書『南・西』(p.14)を開けばいきなりこんなことが書かれている。

海に面した南インドはもともとベジタリアン(菜食主義者)が多い土地柄ではない。統計ではむしろハリヤナ州やパンジャーブ州、ラジャスターン州やグジャラート州といった北・西インド各州がベジタリアン率の高い地域であるというデータが出ている。つまり一般的なイメージとして持たれている、北インドが肉中心の料理、南インドが野菜中心の料理というのはむしろ逆なのだ。

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▲南インドといえばやっぱりミールス(インド式定食)。これはケーララ州パラッカドにあるハリハラプトラのベジ・ミールス。敷かれたバナナの葉には、クートゥ(豆の煮物)、オーラン(野菜のココナッツ煮)、アヴィヤル(野菜のカレー)、パチャリ(キャベツのサラダ)、ポテト・ウペリ(角切りポテト炒め)、インジプリ(生姜のチャトニー=粘度のある付けダレ)などが並ぶ(写真提供/小林真樹)

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▲こちらはアーンドラ・プラデーシュ州カキナダにあるスッバヤ・ホテルの豪華なベジ・ミールス。フェイバリット・ミールスのひとつなのだとか(写真提供/小林真樹)

ビリヤーニーに「本場」「元祖」はない!?

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▲ハイデラバード、カッチ式のビリヤーニー(写真提供/小林真樹)

インド料理に関する日本人の思い込みに近い偏見や誤解も、小林さんらインド料理を深く掘り下げる人々の影響により、徐々に実際に即した認識に修正されつつあるのかもしれない。

ただ、この本を読んでいると、さらにマニアックなインド食文化の「あや」とでも呼びたくなる、もう底なし沼のような深みに触れるような記述が目に入り、その迷宮に、軽いめまいすら感じてしまう。

たとえば、日本でもかなり近年メジャーになったビリヤーニー(あえて本書のとおりに表記)。

ムスリムの料理文化に起源を持つビリヤーニーの名所のひとつにハイデラバードがあり、当地のカッチ式ビリヤーニーは、あたかも、いにしえの宮廷由来の伝統料理であるかのように考えられている。

ただ、小林さんによれば、それは比較的最近に創作された「物語」に過ぎず、ハイデラバードのニザーム王家のものとは、時系列的にリンクしない(『南・西編』p.55)。

小林:インド人は「伝説」をつくるのが大好きなんですよ。例えば「このお店の創業時の料理人はムガル宮廷の厨房出身である」とか、お客さんの目を引くために話をつくり上げてしまうんです。ハイデラバードのビリヤーニーに関しても、有名店の歴史は意外と浅く、最古でも1950年代創業です。しかも、有名店の創業者は「イラーニー」と呼ばれるイランからの出稼ぎ者が多く、宮廷文化とはつながりにくい。つまり、歴史的な整合性があるかといえば、非常に危うい。「伝統インド料理」と言われるものは、かなりフィクション的な要素をはらんでいますね。

伝統インド料理は、そもそもフィクションだった──。と言っても、頭ごなしに否定的に捉えるのは無粋というものだろう。

いったい、なにが食文化に対する「正しい理解」で、なにが「誤解や偏見」なのか、その境目すらぼやけそうな話ではあるが、そうしたカオスのようなものまで含めて浴びるように体験してみることも、インド料理への接し方、楽しみ方のひとつの態度。この本は、そんなことまで教えてくれるのだ。

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▲ビリヤーニーといっても土地によってずいぶん違う。こちらは北インド、ウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウのビリヤーニー。プラーオ(炊き込みご飯)から由来しており、具はほぼマトン一択といっていい。ちなみに、ラクナウはハイデラバードと双璧をなすビリヤーニーの街である(写真提供/小林真樹)

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▲南インド、ケーララ州マラバール地方のビリヤーニーは、小さな皿にこれでもかというほど目一杯盛り付けられる「漫画盛り」ライクなルックス(写真提供/小林真樹)

日本の「インド的マインド」あふれるお店

f:id:Meshi2_IB:20200927110752j:plainさて、最後にひとつだけ残念に思うのは、2020年10月現在、ほぼすべての読者がこの本を片手にインドの街を闊歩し、食べ歩きを楽しむことができないという、本の執筆時点ではまったく予想だにしなかったであろう世界的状況である。

ならば、せめて国内で疑似インド旅行を楽しむべく、日本の激シブ店はどこか、小林さんに訊ねてみよう。

例えば、彼の前著『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院、写真下)の表紙を飾った茨城県下妻市の「ブルームーン」などはどうだろう? お店のしつらえ的に激シブ系ではなかろうか?

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▲国内のインド料理店事情に迫った本書はマニアならずともに必読!

小林:そうかもしれませんね。その近所にある、常総市の「マーフレストラン」も雰囲気があると思います。シーア派のモスクが併設されたパキスタン料理店です。

激シブとは少し方向性は違うかもしれないが、インド的なマインドを色濃く感じるお店として、東京都・経堂にある「スリマンガラム」の名前もあがった。

小林:ここ最近、南インドのお店はとても増えましたけれど、その中でもスリマンガラムはシェフの出身地であるチェティナードゥ色を強く打ち出して勝負しようというお店です。シェフのマハリンガムさんはとにかく気前がよく、たくさん食べさせたい、おなか一杯にさせたいという気持ちが強い。それがすごく現地感にあふれてるんです。料理のボリュームというのは、インドを感じる大きな要素のひとつです。

意識の高いオシャレなインド料理店に行くと、「あれ、もう終わり? 次のカレーは?」なんて感じになることも少なくないそうで、そのあたりの感覚の違いは歴然としているそうだ。現地の味やスタイルを上手に模倣できていても、満腹にさせたい! というマインドの部分まで感じられる日本人のお店は、意外に少ないのだという。

小林:料理のボリューム感においても現地感を醸し出そうとしている日本人のお店としては群馬前橋市の「チャラカラ」がおすすめですね。それと、京都「インド食堂TADKA(タルカ)」は何人かで訪問しておまかせメニューを頼むと、現地的なボリューム感が味わえると思います。

それにしても、ここまでインド的マインドにあふれ、さらに完璧に近いインド食べ歩き情報が網羅された本を手にしながら、そのインドに行けないって、いったいどういう状況なんだろうかと途方に暮れてしまう。

インド好きにとって、これほど歯がゆいことはないが、せめてインド感あふれる国内のお店で満腹になり、この本をバリバリ活用できる日が一刻でも早く戻ってくることを願おう。

書いた人:(よ)

(よ)

「ferment books」の編集者、ライター。「ワダヨシ」名義でも活動中。『発酵はおいしい!』(パイ インターナショナル)、『サンダー・キャッツの発酵教室』『味の形 迫川尚子インタビュー』(ferment books)、『台湾レトロ氷菓店』(グラフィック社)など、食に関する本を中心に手がける。

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October 27, 2020 at 08:30AM
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