事故は1月20日午前、生沼(おいぬま)曹六教授(1876~1944年)の生理学教室で起きた。同教室は当時、高度1万メートル以上の成層圏での体調の変化を調べるため、気圧を成層圏と同じ5分の1に下げる鉄製低圧タンク(高さ2・5メートル、直径2メートル)を自作。この日、タンクに入ったのが同教室の西崎良虎副手=当時(37)=と藤田茂副手=同(34)=で、実験中にタンクが爆発し、ともに全身にやけどを負って亡くなった。
弔辞は、今年4月の一般公開開始に向けて同大医学資料室(同所)で学内の資料を整理していた客員研究員の木下浩室長補佐が見つけた。事故の6日後に営まれた大学葬で読み上げた生沼教授の筆とみられ、「両君ノ犠牲的態度ハ後進学徒ヲ奮起セシム」「研究ハ航空医学ノ上ニ不滅ノ燈台(とうだい)トナリ」と激賞。大学側は2人を講師に昇進させたとし、大学葬の参列者についても「文部大臣ヲ始トシ斯学(しがく)ノ権威ヲ網羅ス」などと記している。
木下室長補佐によると、当時、軍事的に重要だった軍用機での成層圏飛行は操縦士が体調異常を起こす問題があり、研究は対策を探るため軍部の委託で進められた。戦局が急迫する中、事故後も研究は中止されず、タンクに入る被験者探しに苦労しながらも翌年、その成果が医学誌に公表された。しかし戦況は刻々と悪化。米軍が成層圏を飛べる爆撃機B29で日本本土の各地を空襲する一方、日本軍は成層圏を満足に飛行できる機体を開発できないまま、終戦を迎えたという。
2人は異例の戦死扱いとなり、当時タンクのあった付近には今も殉職碑が立つ。木下室長補佐は「2人の業績をたたえ、盛大に弔うことで軍事的に重要な研究の続行を図り、戦意高揚につなげた面もあったようだ。国のため危険な人体実験で命を落とした若き研究者がいたことを多くの人に知ってほしい」と話している。
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