国連平和維持活動(PKO)協力法が成立してから15日で30年。日本は自衛隊員をアフリカなどの国連PKOに延べ1万1千人以上派遣してきた。しかし、部隊派遣は5年前に途絶え、今は南スーダンに司令部要員が4人いるだけ。国際貢献の象徴だったPKOは、任務を終えようとしているのか。
「PKOのあり方が変わってきている。我が国の能力を生かせる形、大きな部隊を派遣するのではなく、重要なノウハウを伝えていくことに支援の中心が移ってきている」
岸信夫防衛相は14日の会見で、自衛隊のPKO派遣について、こう答えた。
PKO協力法は1992年、宮沢内閣で成立した。
前年に湾岸戦争が勃発。米国を中心とする多国籍軍への日本の協力が「資金提供だけ」と批判された。このため、本格的な人的支援を進めようと作ったのがPKO協力法だった。「紛争当事者の間で停戦合意が成立している」などの参加5原則のもと、自衛隊を海外に派遣できるようにした。憲法が禁じる武力行使をしないという枠組みの中での活動だ。
法律の成立を受け、日本は、自衛隊初のPKOとして、カンボジアに派遣。「海外の戦争に巻き込まれる」と反対する声も国内にあったが、施設部隊約600人が、現地でインフラ整備などに取り組んだ。
その後、自衛隊部隊のPKO派遣はモザンビーク、ゴラン高原、東ティモール、ハイチ、南スーダンで実施された。しかし、17年5月に南スーダンから施設部隊が撤退したのを最後に部隊は派遣されなくなった。現在、南スーダンで4人の司令部要員が司令部の調整などに当たるのみだ。
減少した理由の一つがPKO自体の変化だ。90年代末に主要な任務が「復興」から「市民の保護」へ変わり、部隊が武器を使用する機会が増加。危険度も増し、自衛隊の活動の限界が指摘されるようになった。
カンボジア派遣の第1次施設大隊長を務めた渡辺隆さん(68)は「PKOが戦うことを前提としたものに変質した。当時の法的枠組みのままの日本は、後方支援以外の部隊を派遣することはほぼ不可能」と話す。外務省幹も「機会があれば出したいが、現時点では適当なものがない」と話す。
安全保障環境の変化も要因とされる。中国をはじめ、日本周辺で動きを活発化させる周辺国への対応に自衛隊が追われている。昨年度の年間緊急発進回数は過去2番目に多く、今年の北朝鮮のミサイル発射回数は過去最多となった。防衛省幹部は「米国の関心も中東やアフリカから中国に移った。日本も自国防衛に力を割くべき時だ」と話す。
このため日本は近年、部隊派遣国にノウハウを伝授する「能力構築支援」に力を入れる。これまでケニア、ウガンダ、ベトナムなどを支援している。
ただ、自衛隊の施設部隊が撤収して5年。自衛隊幹部は「いずれ派遣された経験を持つ隊員は退職し、いなくなる。他国への支援もいつまでできるかはわからない」と指摘する。
別の自衛隊幹部は言う。「『行け』と言われれば、いつでも行ける。だが、行くべきかどうかは政治判断。結局は国民がどう考えるかだ」(成沢解語、松山尚幹)
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