ロシア軍に包囲され、猛攻撃を受けたウクライナ南東部マリウポリの製鉄所「アゾフスターリ」。その地下では、170人超の市民が、電気も水道もない中で2カ月間のシェルター暮らしを送っていた。避難者たちはコンクリート片で組んだ調理台でスープを作ったり、1日1回の会議を設けたりして、協力しながら毎日を過ごしたという。
生還した8人が、現在滞在するウクライナ西部ブコベルで、朝日新聞の取材に地下生活の様子を語った。
3月2日から66日間、製鉄所の地下シェルターにいたナタリア・バブーシさん(35)は、30人超の避難者の調理を担当した。3月上旬の時点で、バブーシさんがいたシェルターでは150食分の米やパスタと缶詰があり、スープにして少しずつ使っていった。
5月6日、人々は国連や赤十字国際委員会が手配したバスに乗り、製鉄所から退避した。そのとき残っていた食料は、どんなに節約しても1週間分ほどにしかならない量だったという。
爆撃による死の恐怖と隣り合わせの地下生活で、住民たちは話し合いで困難を乗り越えた。
最大で50人近くが避難したシェルターにいたラリサ・ソロプさん(49)によると、1日1回、夜に避難者が集まる「住民会議」が開かれた。避難生活で生じた問題や、避難者間のいざこざを話し合いで解決していたという。(ウクライナ西部ブコベル=坂本進、飯島健太)
からの記事と詳細 ( 電気も水道もない地下シェルター、協力して2カ月過ごす 生還者証言 [ウクライナ情勢] - 朝日新聞デジタル )
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