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Sunday, April 11, 2021

世界最北の茶畑、日本企業の協力で名産地に インスタ映えで人気観光地 - 東京新聞

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 ロシア・クラスノダール地方のソチに、世界最北を名乗る茶畑がある。ソ連の最高指導者スターリンの意向で誕生し、静岡県の企業の支えもあって、ソ連崩壊後の混乱を乗り越えた。全体主義の影を引きずった茶畑は今、緑茶の名産地として光を浴びている。(ソチで、小柳悠志)

ソチの山あいに広がるマツェスタ茶園=小柳悠志撮影

ソチの山あいに広がるマツェスタ茶園=小柳悠志撮影

 「茶は手で摘むのが一番。機械摘みと比べて値段は高くなりますが、風味は格段に上です」

 ガイドの声が緑の中にこだまする。ソチの「マツェスタ茶園」のたたずまいは静岡県の牧之原台地のよう。ロシアでは「インスタ映えする」と評判で、昨年は新型コロナウイルス流行にもかかわらず、6000人以上の観光客が訪れた。

茶の国産化に尽力したスターリン=ジョージア・ゴリで小柳悠志撮影

茶の国産化に尽力したスターリン=ジョージア・ゴリで小柳悠志撮影

 現在のロシアで茶葉の生産が始まったのは1930年代。既に茶の木があったジョージア(グルジア)やアゼルバイジャンにならい、ソチでも茶畑がつくられた。第二次大戦で作業は中断したが、47年に「レーニン記念マツェスタ茶園」が開業した。

 機械もなく、開墾はほとんど手作業。緯度は北海道北見市とほぼ同じで、寒さのために茶の木は何度も枯れた。それでもスターリンは茶の大増産をあきらめなかった。

 ジョージア・オーガニックティー協会のショタ・ビタゼ会長(60)によると目的は栄養補給。茶にはビタミンなどが含まれ、戦場で兵士の病を防ぐ。ロシアは冬が長く、野菜の収穫量も限られていた。広大な領土を抱える赤軍の国、ソ連にとって茶葉は軍事戦略上、欠かせない。

 茶づくりの実行役に命じられたのはスターリンの側近ベリヤ。大粛清や原爆開発も任された人物だけに、スターリンの茶に対する熱意が分かる。

 ちなみにスターリンらロシア革命の闘士たちは、お茶が大好きだった。警察に収監されるとお酒が飲めず、濃い茶が数少ない楽しみだったから。「プロレタリア革命から生まれたソ連は指導者も体制も、必然的に茶を欲した」というのがビタゼ氏の持論だ。

◆静岡の企業も技術支援

2009年、ソチのマツェスタ茶園で、日本製のプラント導入を祝う日ロ関係者=同園提供

2009年、ソチのマツェスタ茶園で、日本製のプラント導入を祝う日ロ関係者=同園提供

 ソ連崩壊後の社会混乱で手入れが行き届かなくなったマツェスタ茶園が、日本の製茶技術を導入し、緑茶を手掛けるようになったのは2008年以降。「栄養価の高いお茶を」―。そんなスターリンの目標は、静岡県の企業の助けでさらに前進している。

 当時、静岡県の茶業メーカー各社は輸出を模索。マツェスタ茶園も日本風の緑茶に関心を示し、寺田製作所(島田市)にプラントを発注した。寺田製作所から社員が派遣され、技術支援に当たった。

マツェスタ茶園に導入された日本製のプラント=マツェスタ茶園提供

マツェスタ茶園に導入された日本製のプラント=マツェスタ茶園提供

 マツェスタ茶園はそれまでつくっていたのは紅茶だけ。設備近代化の際、さまざまな国の製茶プラントを比較し、日本製が最も優れていると判断した。

 マツェスタ茶園がつくった茶は高い栄養価を保ち、茶の国際コンクールでも高く評価されるように。茶園のトゥルシュ代表は「ソチの土壌と気候に日本の技術が組み合わさり、良い結果が生まれた」としている。

 ロシアは古くは中国から大量の茶葉を輸入。紅茶とともにイクラを載せたクレープやジャムを食べるのが一般的だが、ソ連崩壊後は緑茶も広く普及している。

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