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Sunday, March 8, 2020

証言 相模原殺傷事件> (7)後輩に度々 協力迫る:社会(TOKYO Web) - 東京新聞

公判では遺族らの姿が見えないよう傍聴席についたてが置かれた=イラスト・なかだえり

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 「手紙を出してからみんな離れていった。もう俺、相模原に住めなくなる」

 二〇一六年四、五月ごろ、植松聖(さとし)被告(30)は地元で一番親しかった男性に電話をかけた。二月に衆議院議長公邸に障害者の殺害を予告する手紙を届け、それをきっかけに津久井やまゆり園を退職、措置入院を余儀なくされていた。

 子どものころから地元を中心に交友関係は広かったが、「障害者に何億の税金が使われているか知っているか」とか「政府のために殺すのだから百億円もらう」などと荒唐無稽なことを一方的に話すので、友人らは距離をおくようになった。そこで男性に助けを求めたのだった。

 男性の調書によれば、男性は「おまえが病気なら入院しろ。仕事もしろ」と発破をかけた。その後、植松被告は人前で「障害者を殺す」といった発言をほとんどしなくなった。だが一人だけ、計画を真剣に話す相手がいた。一四年夏に知り合った一歳年下の地元の後輩だった。

 後輩の調書では、事件二カ月前の一六年五月、植松被告は「アキバの時はどうやったんだっけ。健常者は殺したくないから拘束したい」と聞いてきた。アキバとは七人が死亡、十人が負傷した〇八年の秋葉原殺傷事件のことだ。

 後輩は「二人とも妄想話をするのが好きだったので、その延長と思い、『ナイフや包丁で刺せばいい』と話を合わせた」。後輩が以前、不良に結束バンドで両手の親指を一緒に縛られた経験を話すと、植松被告は「そうか、結束バンドか」とつぶやいた。

 植松被告は「十一月にはトランプが大統領になるから十月までには殺さないと。自分が殺すから拘束を手伝うだけでいい」「事件の後に十億円入るので折半しよう」と繰り返し誘ってきた。六月下旬には車の中で威圧的に「協力しろ」と言った。後輩が「ヤバいっす。無理っす」と断るとその後は誘わなくなった。

 同じころ植松被告は整形を重ね、ムエタイジムに通い始めた。検察側は公判で「職員に抵抗された場合を想定してジムで体を鍛えた。報道されたときに見た目がいい方が共感されやすいと考えて美容整形するなど、周到に準備を進めた」と指摘している。

 七月二十四日夜、後輩は植松被告に電話した。「大麻が手に入ったので。さとくんは『まってました』とばかりにノリノリだった」。後輩の友人と三人で相模川の河川敷で会って大麻を吸った。

 三人で一時間ほどしゃべっていたが、午前一時半ごろ、植松被告は突然走って車に戻り、そのまま走り去った。事件の前夜のことだった。

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