11日に96歳で亡くなった森英恵さんは、戦後復興期から活動し、世界を舞台に活躍。日本のファッションの存在感を示し、一時代を築いた。
世界にはばたく原動力となったのは、1961年にニューヨークで受けた衝撃だ。日本製のブラウスが、「ワンダラー(1ドル)ブラウス」と呼ばれて安物の代名詞として百貨店で売られていた。オペラ「蝶々夫人」では日本人が惨めに描かれていた。
「自分の服で、日本のイメージを変えたい」と決意。4年後、同じニューヨークで初めて開いたショーでは、チョウをあしらった華やかなドレスなどを披露し、高い評価を受けた。海外にも顧客を増やし、服だけでなく生活用品にまでビジネスを広げた。
世界に通用する先駆者としての活躍が、三宅一生さんら後に続く世代につながっていった。
私生活では、2人の息子を育て、働く女性の草分け的存在だった。孫でモデルやタレントとして活躍する森泉さん、森
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